三連休抄(19.10.12~14)

今月から意識しなければ3連休以上の休みが取れなくなったので、できる限りきちんと日記を書いておくことにする。

◯前夜(19.10.11夜)
風呂に入る気力がなく、仕事着を脱いだ状態で3時間近くiPhone越しに虚無を見る。もし今風邪をひいたとしたらこの悪癖のせいである。

◯1日目(19.10.12)
台風が来る。昨夜のうちから雨風吹きすさんでいたが、更に強くなり窓がガタガタ言う。
死力を尽くしてだらだらすることを誓い、Amazon primeで精神的に積んでいた映画を2本見た。映画館で見なくてよかったと心底思う出来で他事をしながらの暇つぶしにちょうどよかった。
食事の用意を完璧に忘れていたので、昼下がりの空腹をマルセイバターサンドでごまかす。百貨店の北海道物産展に足繁く通ったものの購入を見送っていたのだが、先週近所のスーパーが何故か六花亭フェアをやっており衝動的に買ってしまった。欲しくて買ったものを開封せずに床に転がしておく癖があるため、こういった形で役立つのはなかなか珍しいことである。
気圧変化に耐えられず19時前に入眠。翌1時頃起きてインターネットを2時間嗜み寝落ち。趣味にしているこの虚無はサーフィンと言うほど華麗でもないし、ダイビングと言うほど深層にいるわけでもない。深度的にはインターネットシュノーケリングあたりが落とし所だろう。シュノーケリングでも格好つけすぎているのでインターネットけのびがいいかな。12.5 mも世界が見えていればいい方である。

◯2日目(19.10.13)
快晴。シーツとまくらカバーを交換する。物干し竿ごと持っていかれそうに風が強いので、100均の洗濯バサミに期待と過負荷をかける。
なんとなく、程度の理由であいちトリエンナーレに行った。美術的素養がなければ解釈できないような難解な作品ばかりかと思っていたら全くそうではなかった。ニュースの出来事を卑近な出来事として置き換えて見ることができれば十二分に楽しめる。
『未来を開封する』はこの半年間実際に自分が真剣に向き合わなければならなかったことがテーマで、ペン先を手のひらに押し当てているような痛みを感じながら見た。物にもよるが見た目のラフさには反して作業服は拘束感のある衣服だ。個人的にはスーツより遥かに縛られている感覚がした。身体を規定していく労働はただつらいが、精神を規定していく労働は生きがいにもなり得る。もしホームの向こうで誰に対してでもなく手を挙げる女性を見かけたら手を振り返したい。周りの人間がしないことをするのが変態ではなく、もっと大きな集団においても前提として持ち得る道徳心に反するのが変態であると思う。
帰りがけに缶チューハイを買う。去年度は最もハイペースな時で3日に1度はしていた習慣だが、今年度は月に1度程度しかしていない。健康に目覚めたわけでもなく、ただ平日の帰り道で仕入れるのが格段に難しくなったのと、去年度より酔う必要がなくなっただけだ。

◯3日目(19.10.14)
小雨。駅まで歩く覚悟を決める。
あいちトリエンナーレ名古屋市内の会場を巡った。すし詰めとまではいかないが人が多く、開演前のライブハウスのあのにおいは人間のにおいだったのかと思い当たる。人臭いなどと鬼か悪魔かしか言わないような台詞が漏れかけた。
『Portrait of a woman passing by』で中央付近に置かれた花瓶と同じ柄のワンピースの女性が作品を見る私の真似をしていた。手を振っても応えてはくれなかったが、静かに、でも確実に私の後を追って最後は華麗に消えた。他の観客でこれに構う人がいなかったので、私だけが見た幻覚かと思ってしまった。
『Shoum』のセルビア人男性と同じように聞き取れない英語の歌詞をなんとか埋めようとした経験がある。そのように聞こえるからそのように書くしかないのだ。バベルの塔とはよく言ったもので、同じ機能を持つ道具であるのに初見の人間がそれらの互換性を任意に操ることが不可能である。
ほぼ全ての作品が撮影可能だった。作品の全体を撮るよりも気になる部分だけを上手く抜き出せるかどうかに自然と熱中していた。もっと細部を見たいのに近付けない作品もあり、とりあえず撮っておいた写真を拡大してみると新たな気づきがある。
『本当に存在する架空のジャンル』は"ascii doowop"が一番好みだった。"Turbo Social Racist Folk"の文字から来る圧よ。
『ラストワーズ/タイプトレース』10分で遺書を書けだなんて無茶振りの下でも自分の存在をどうにかして文字に変換したい人の執念がディスプレイに煌々と浮かび上がっていた。余りの思いに当てられて、36あるディスプレイの1つ2つしか注視できなかった。死を悟った状態での愛の告白は呪いだ。
名古屋市美術館愛知芸術文化センター→四間道と移動したが、文化センターの時点で大分疲れていた。人酔いに重たいテーマの展示を立て続けに見たせいで頭がぼーっとしていた。
インタラクティブ」──双方向性を主張する作品が多い割には観客側から作品に対して起こせるアクションはとても限られていたように思う。ぺたぺた触っていい作品がもっと欲しかった。自分と相手の入出力のサイクルを2回以上してこその'inter-active'で、現状では「人によって作品の解釈が異なる」のをただ見せつけられるだけなので名乗る意味もないのではないかと思う。二重スリット実験かなにかやっているのかと。
行こうと思い立ったのが会期終了間際で、ライブや演劇作品を見られず少々悔いは残っているが、また3年後遊びに行けたらと思っている。