随想;OGRE YOU ASSHOLE『さわれないのに』を中心点として

 私が初めて聞いたOGRE YOU ASSHOLEのアルバムは「アルファベータ vs. ラムダ」だった。高校生の時、通学中にこのアルバムしか聞いていない時期があった。甘く舌ったらずの少年の声のようなボーカルに飛び道具と化したギター、メロディアスなベースにどことなくせわしないドラム。必要最低限の音で出汁をとったポップだと思っていた。その後「浮かれている人」を聞いて、自分が抱いたその印象に首を傾げざるをえなくなった。まだ耳が受け付けた『タンカティーラ』でさえ、変ににぎやかすぎて『コインランドリー』や『しらない合図しらせる子』と同じ温度で楽しめなかった。
 そんな調子だったので、大学生になっても「100年後」やら「homely」やら「ペーパークラフト」やら「confidential」に見向きもしなかった。「confidential」に至っては音源データが手元にあるのに関わらず、途中で寝るか耐え難くなるかで一度も通しで聞けた試しがない。だから、OGREのライブにはバンド自体が地元にあまり来てくれなかったのも相まってあまり行く気がしなかった。唯一行きたいと思ったのは結成10周年の記念ライブで『コインランドリー』をアルバムアレンジのままで演奏したと聞いた時だ。
 それなのに、今回の「新しい人」リリースツアーに行くことを早々に決めてしまっていた。キャパが550人の箱の公演のチケットを取って、整理番号は28番だった。自分にしては軽率と言ってしまっていいほどに早い決断だった。そうしたのはなぜか。

 『さわれないのに』を聞いてしまったからである。

 このブログにも幾度となく自分にとってのインターネットとはどのような概念で、時折どのような"存在"になるのかを書いてきたが、それを最も端的に表現したのが『さわれないのに』であると出だしの2行で確信してしまった。さわれないのに、すごくよく見える。さわりたいのに、ただただ見てるだけ。
 サウンドも「アルファベータ vs. ラムダ」の時に感じた必要最低限・骨と皮だけで出汁をとったポップさが、さらに塩分を薄くうまみを強くしていたので、このアレンジをするバンドが過去の曲をやったとしたらどのような味付けになるのか、今の自分にそれを感じるだけの鋭敏さなり尺度なりがあるのかが気になった。
 「新しい人」全体の感想としては公式の対談で出たワード以上のものが出なかった。自分なりに抱いていたもやもやとした思いがはっきりきっちり言語化されていた。少しだけ言い訳をすると、「100年後」すらまともに聞けなかった状態でも”日本のバンドで唯一無二のものを挙げよ”と問われたらOGREの名前を出すという発言がしっかり自分のSNSに残っていた。

ogreyouasshole.com

 ライブでは終始圧倒されていた。文字通り桁外れになった音圧をがっちりグルーヴが抱きかかえていて、だだっぴろいベッドの上で飛び跳ねているようなふわふわとした多幸感が耳から流し込まれる。ディスコに来たのかと勘違いするような支配感のあるリズムを出していた。MCはほぼなく、きっちり客を踊らせて即座に帰って行った。終演時間が20時台だったのでタイムマシーンにでも乗ったのかと現実を疑ってしまった。
 境目があるから自分がわかる、境目があるから他人だとわかることは正しく幸福なのだ、とその身をもって示してくれる稀有なバンドである。いつまでも浮遊してくれることを願っている。