upside down

朝起きて、そこから13時間家から出ず、陽が落ちてから4km少々走るか歩くかして家に戻る。平日はこれの繰り返しで、走るコースも円を描いている。

これをつまらないと思う私は怠惰に押し潰されて、ただ生活のための生活をしている。13時間家から出ないうちに新しい物事を知ってはいるが、数年前のような理屈が全てカチリと嵌った感覚が全くしない。例外処理の多い有機化学は自然科学ではないと言われることがあるが、今の私にとっては電子供与/求引性が目も眩むような規則性を持つ事象に思える。市場調査とベンチマークから見えてきた乖離と上の駄々こねを擦り合わせようとしたり、擦り合わなさを詳らかにしたりしている。

今までの生活は3年も経てば何かしらがあった。通う学校が変わる、通う場所が変わる。積み上げられる理屈が基礎にあるからやるべきことが加速度的に複雑かつ高度になっていく。今はただ、等速度で円運動をしている。

回り続けている。日常のルーティンだけは己の怠惰の毒牙にかからないように。

回り続けている。これの積み重ねが人生になることを恐れながら。

回り続けている。自分が何も考えていないことを考えずに済むように。

回り続けている、なんのため?

新たな力を加えない限り加速度は0のままであり、釣り合うベクトルの一部を見ながらどの方向に引っ張れば自分の望む方向に行けるか分からず立ち尽くしている。自分の望むことが何なのかそもそもわかっていないのだ。

目の前にあまりにも道がなくて呆然とし続けている。慌てて行った正反対の選択がゆっくりと足元を掻き回している。止め方も知らないまま回り続けている。

回り続けている。日常のルーティンだけは己の怠惰の毒牙にかからないように。

回り続けている。これの積み重ねが人生になることを恐れながら。

回り続けている。自分が何も考えていないことを考えずに済むように。

回り続けている。足元に棹させば少しの抵抗を感じる。自分の選択傾向という潮流だ。それに逆らう方向はどちらかを見つめていたいが、立ち止まっていてはいけない。本当に知るべきは『何を選択してこなかったか』だ。