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台湾を探している。
風が生ぬるく雨が降った日のコンクリートタイルの匂い。ドンキで100円で売っていたナノックスの偽物で洗ったバスタオル。頂好や全家の電子發票そのQRコード、購物明細。パスポートのスタンプ欄まで開いて見ている。家での会話に普通話が混じる。地上波の旅行番組も見ていたが最近は香港に流れがちで違うものを求めて見ている。
非アジア圏から日本に求められているごった煮て返す感じはもうはるかに台湾や中国の都市部の方がそれらしくて、居住者の伝統に対する教養もGDPもない今、もう残っているのは複雑で定刻通りの鉄道網とある種の清潔さしかない。戦後の復興の終了と同時に死んでいく国に生まれたと感じている。自分の頭と気前の良さを育てていかないと満足に生き残れない。
旅行で行った場所を好きになるのは旅行で行ったからで、実際の生活は湿気りかけた火薬を箱にぎゅう詰めしているようなものであると頭では考えている。だからこそ年に1週間くらいはまやかしを見せてくれたって構わないじゃないか、こっち来た時はコーヒーくらい奢るからさあ、花の香りのする白茶を飲ませてくれ

都会は嫌いではないし、台北と香港は本当に気に入ったが、東京は広すぎて東京自身もそれを持て余していてあまり好きになれない。広すぎるせいかJRの在来線ごとに文化があるというらしいが、その在来線だって千葉や埼玉まで一息に繋がっていてどんどん拡散していってまとまりがない。主要駅と主要駅の間の低層居住棟群など建物の密度を高くしただけの田舎以外の何であるというのか。

台湾を探している。
前回は去年の7月頭に台北と高雄に行った。北回帰線以南は空気が別物で、肺に吸い込むのがやっとだった。蓮の花は全て枯れていて、漆喰のような材質の龍と虎が色鮮やかにこちらの頭上を睥睨し、湖よりも圧の高い空が容赦なく肌を焼く。十分前後不覚に陥り新光三越をさまよい歩いた後炭酸ジュースを高鐡の駅で吹きこぼした。寄ってきたすずめが全て逃げたのを覚えている。行こうとしていた都市は雨に飲まれていたのを車窓から確認し少し眠りにつくと板橋についていたのでまた強烈な前後不覚に陥る。それから10ヶ月が経とうとしている日本の北のほうで、バスタオルの匂いを嗅ぎながらその時の1000000分の1のスケールで前後不覚になっている。十分なほどのドラッグである。

おそらくまた台湾に行くだろう。真摯に甘いオレンジの輪切りのドライフルーツを買って帰るだろう。少しずつ依存するものが多くなっていくのを自覚して帰りの飛行機の中で省みるだろう。醜い自己弁護しかできないことを嘆いて、その後は綺麗に忘れていよう。生きるのをやめるのはいつでもできるが、やっぱりちょっと難しい。