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部屋の前にお供え物のように多い日の夜用が置いてあるのだけど、わたしそんなにそんなだったっけ……。

女性の理想とする女性像と男性の理想とする女性像と女性が男性の理想だろうと思う女性像と男性が女性の理想だろうと思う女性像と社会から強制されてきた女性像と社会から抑圧されてきた女性像が全部違うしどの女性像1つとっても誰一人として同じものがないからオンナノコって生きづらいね☆
男女入れ替えても成り立つだろうが、「理想」と「強制」と「抑圧」が曲者なんだよな、未だにいろいろ根強くて、女性が女性を縛る例がとても多い。「男性の理想する女性像」に寄り添って生きるのが今の社会だと一番力を持てるという点では生きやすいから、その立場から発言してしまってそもそもジェンダーによる生きづらさをなくしていこうとしている人たちにとって邪魔になっているのではないか。
出生性別がなんであれ、それによって個人の性格や嗜好や将来を周りが曲解しなくなることが私の願いの1つであるのだけど、あとどれくらい経てばそうなるだろうか……。
自分の性別を初めて自覚した時が、それを否定しようとした時であるのは、性別から逃れられる方法を持ち合わせていない者にとってどうしようもなく不幸だ。どうしたって自己を否定してしまう。
卑下も全肯定も必要ないし、「ありのまま」は外見の話ではないからな。